Q:現在、古い和風の住宅に住んでいますが、段差が沢山あります。これらをなくした方がいいのでしょうか

段差が障害になっている方がいらっしゃるならば、何らかの対処が必要です。そうでなければ、段差をなくす必要はありません。日本の家屋には必要のない段差が沢山あると言う人がいますが、私の考えでは、必要のない段差などほとんどありません。段差の多くは必要だからあるのです。ですから、段差をなくすためにはそれに代わる何かが必要になってきます。単に段差をとればいいという訳ではないのです。

ここでは、一番話題にのぼりやすい和室と板の間(フローリング)との間の段差についてお話しましょう。和室と板の間との段差は、簡単に言うと、和室の畳の厚さと板の間の床板の厚さとの差が段差になるわけです。(畳の厚さを60mm、床板の厚さを15mmとすると、その差45mmが段差になります。)この段差をなくすためには、従来の木造建築(在来工法)では、和室の床下地の位置をこの差だけ低くします。2×4(ツーバイフォー)や木造3階建てなどで、構造上、床の剛性が必要な場合には、板の間側の床を2重にしてこの段差を解消します。

ここまでの話は単に床材の厚みの差が段差を生じさせているということなのですが、これにはもうひとつ別の側面があります。それは空間の秩序に関することです。伝統的な日本の家屋では、板の間と畳を敷いた部屋(座敷)とでは空間としての格が違います。この格の違いを表現しているのがこの段差です。日本建築では、こうした空間のヒエラルキーが建物全体の秩序を構成しています。例えば玄関を考えてみてください。玄関には上り框(あがりかまち)の段差がついています。これは単に靴を脱ぐ場所を形作っているだけではなく、この段差によって、外からの訪問者が断りもなく上り框を越えて家の中に入っていけないという、意識の上でのバリアー(防御)になっているのです。ですから、こうした段差をなくすということは、このような空間の意味や格の違いをなくすということです。畳の床も板床(フローリング)も単に床仕上げ材料の違いにすぎなくなってしまいます。

こうしたことが良いか悪いかは、価値観の違いによって判断が異なりますのでどちらとも言えませんが、私の個人的意見を言わせていただけば、段差がなくなることによって日本建築が持っていた空間の濃密さが失われ、空間が平板になって行くことは、とても淋しいことです。

和室の床とフローリングの床との段差をなくすことが、バリアフリーのシンボルのように言われますが、これは全くナンセンスです。

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